宇和島城
(うわじまじょう)

別名:鶴島城、丸串城、板島城
国史跡、日本100名城
場所 伊予国
愛媛県宇和島市丸之内
築城者 藤堂高虎
築城年 慶長元年(1596)
主な城主 藤堂高虎、富田信高、西園寺宣久、伊達秀宗・宗利など
主な遺構 国指定重要文化財:天守閣
市指定有形文化財:藩老桑折氏武家長屋門、上り立ち門
その他:石垣、井戸、土塁、曲輪など

歴史背景
 宇和島城は、戦国時代には板島丸串城と呼ばれ、伊予国・宇和地方を支配した西園寺氏の支配下にあった。天文十五年(1546)に西園寺氏傘下の高串道免城主・家藤監物が城に入ったという記録が残っている。その後、天正三年(1575)には西園寺氏の一族である西園寺宣久の居城となる。

 天正十三年(1585)の豊臣秀吉による四国征伐後、伊予は小早川隆景の所領となり、持田右京が城代となる。小早川氏が筑前に移封後、宇和地方は豊臣氏家臣・戸田勝隆の所領となり、自身は大洲城に入り、戸田与左衛門を城代として板島城に入城させた。

 戸田氏断絶後の文禄四年(1595)、藤堂高虎が宇和郡7万石の領主として入城。高虎は、慶長元年(1596)から6年かけて、天守閣をはじめ数十に及ぶ櫓、石垣や堀を整備した近代城郭を完成させた。さらに高虎は関ヶ原の戦いでの働きにより新たに12万石を加増され20万3千石の領主となり、居城をのちに今治城に移した。

 慶長十三年(1608)、高虎は伊勢・伊賀に転封され、代わりに伊勢・安濃津城主だった富田信高が入封。しかし信高は、慶長十八年(1613)幕府より改易される。

 慶長十四年(1609)、仙台藩主・伊達政宗の長男である伊達秀宗が宇和郡10万石の領主に封じられ、翌年の入城後に宇和島城と改めたといわれる。(ちなみに、秀宗は長男でありながら側室の子で嫡男ではなかったため、仙台藩を継いだのは次男で正室の子である忠宗である。)そして、2代藩主・宗利の時代、寛文四年(1664)から現在も残る天守閣をはじめ城郭のほとんどを8年かけて大改修を行った。その後、宇和島藩伊達氏が明治維新まで宇和島を治めることとなる。



天守閣(現存・国指定重要文化財)
伊達宇和島藩・2代目の伊達宗利が寛文六年(1666)頃に
再建した3重3階総塗籠式で層塔型の天守。

天守閣

天守閣

天守閣


城について
 宇和島城は、愛媛県南部にあるリアス式海岸の最深部に位置する宇和島市街地にあり、その中心部の丘陵に築かれた梯郭式平山城である。城の外郭は五角形をなし、西側と北側はほとんど海に面して堀は海水を取り入れていた海城だったが、現在は周囲を埋め立てられている。天守閣は日本に12しかない現存天守の1つで国の重要文化財に指定されている。3層3階の層塔式の天守でそんなに大きくはないが、現存ならではの趣と格式の高さが随所に見られるすばらしい天守である。天守以外の建物はほとんど残っていないが、慶長期から寛文年間の建築と思われる上り立ち門と移築されたきた藩老桑折氏武家長屋門などを見ることができる。また、外郭部分はほとんど失われているものの、城山内部は石垣が非常に良好な状態で残っていて、苔の付いた石垣群や石段の雰囲気がなんともいえずすばらしい。



藩老桑折氏武家長屋門(市指定有形文化財)
城山東北側に位置する長屋門。
桑折氏より譲渡され移築された

上り立ち門(市指定有形文化財)
城山南側の追手門口に位置し、
現存する薬医門としては最大級。

山里倉庫(城山郷土館)
三の丸に建てられた武器庫で現存例の少ない稀少な建物。
現在は城山郷土館となっている。

本丸、二の丸に続く石段

石垣群

井戸丸門手前の石垣

井戸
現在、城山に残る3つの井戸のうち最も重要視された井戸
と推測され、門や櫓などが置かれた。

三之門跡あたりの石垣

二の丸に続く石段
二の丸手前には二之門があった。

二の丸跡

本丸に続く一之門跡

本丸跡

本丸から望む宇和島湾

搦手から見る二の丸に続く石垣

搦手から見る代右衛門丸跡の石垣

宇和島城復元イメージ図(現地案内板)拡大

城山の麓から見た天守

上り立ち門の所に建つ児島惟謙
宇和島出身で大審院長として司法権の独立を守りぬき
「護法の神様」といわれた。

宇和島城 関連年表
1546年(天文十五年) 家藤監物が板島丸串城に入る。
1575年(天正三年) 西園寺宣久の居城となる。
1585年(天正十三年) 伊予が小早川隆景の所領となり、持田右京が城代となる。
1587年(天正十五年) 隆景が筑前に転封となり、宇和郡は戸田勝隆の所領となり城代として戸田与左衛門が入城。
1594年(文禄三年) 戸田勝隆死去。
1595年(文禄四年) 藤堂高虎が7万石の領主として入城。
1596年(慶長元年) 高虎、築城を開始し6年かけて完成させる。
1608年(慶長十三年) 富田信高が12万石の領主として入城。
1613年(慶長十八年) 信高、改易になる。
1614年(慶長十九年) 伊達秀宗が10万石の領主として入城。
以後、明治維新まで伊達氏の居城。


宇和島城 周辺地図 スポンサーリンク
駐車場:城山下駐車場(有料・45台)
      中央町駐車場(有料・100台)
最寄り駅:JR「宇和島駅」
訪問年月:2009年4月



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