戦国武将評

島津四兄弟
 島津忠良(日新斎)が孫四兄弟を評したとされる言葉。
義久は三州(薩摩、大隈、日向)の総大将たるの材徳自ら備わり、
 義弘は雄武英略を以て傑出し、
  歳久は始終の利害を察するの智計並びなく、
   家久は軍法戦術に妙を得たり」


直江兼続・小早川隆景・堀直政
 豊臣秀吉が家臣クラスで天下の仕置に関わってもおかしくないと評したとされる人物。
「陪臣にて直江山城小早川左衛門堀監物などは
         天下の仕置するとも仕兼間敷者なりと、称誉せられけり」

真田昌幸
 豊臣秀吉は小大名ながら徳川や北条を相手に一歩も引けをとらない昌幸に対し、敬意を表しつつこう評したとされる。
表裏比興者(ひょうりひきょうのもの)」
真田は表裏があり、くわせ者であると。


本多忠勝
 織田信長は自らの家臣達に忠勝をこのように紹介した。
「これなるが、花も実も兼ね備えた剛の者本多平八郎よ」


 武田の家臣・小杉左近が一言坂の戦いで忠勝の殿軍での戦いぶりを賞賛してつくった狂歌。
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の兜に本多平八


立花宗茂
 少ない手勢で大軍の島津軍を迎え撃ち、豊臣軍が到着するまで持ちこたえた宗茂との初対面のおり
豊臣秀吉は居並ぶ武将の前で宗茂に対しこう語ったといわれる。
「その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一。」





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