福山城(ふくやまじょう)
別名:久松城、葦陽城
国史跡、日本100名城
場所 備後国
広島県福山市丸之内1丁目
築城者 水野勝成
築城年 元和六年(1620)
主な城主 水野勝成・勝俊など水野氏5代、松平忠雅
阿部正邦・正弘など阿部氏10代
主な遺構 国指定重要文化財:伏見櫓、筋鉄御門
市指定重要文化財:鐘櫓、旧内藤家長屋門
復元建物:天守閣、御湯殿、月見櫓、鏡櫓
その他:曲輪、石垣、塀

歴史背景
 関ヶ原後、備後国を治めていた福島正則は元和五年(1619)広島城の無断改修を行ったと幕府より追求され、最終的に領地を没収されてしまう。これに伴い、徳川家康のいとこで大和郡山城主であった水野勝成が備後東南部10万石の領主として入封し、翌年築城を開始した。3年後には城と城下町がほぼ完成し、地名を福山と名付け城を福山城と称した。水野勝成は若い頃から家康に仕えていたが、途中出奔し他家を転々として関ヶ原の合戦前に帰参。大阪夏の陣で自ら先頭で戦い一番槍をあげ、さらに大阪城桜門に一番旗を掲げるなど大活躍し、鬼日向の異名を持つ猛将である。幕府はこの武勇に優れた勝成を福山城に置き、西国大名の押さえとした。勝成は中国地方に配置された最初の譜代大名である。
 
 水野氏は5代続いたのち世嗣断絶で改易となり、一時幕府直轄領時代を経て出羽・山形から入封した親藩の松平忠雅が約10年間城主となる。そして宝永七年(1710)、譜代大名の阿部正邦が下野・宇都宮より入封する。そして阿部氏が10代つづいて明治維新を迎える。ちなみに幕末の混乱期に幕府の老中を務め安政の改革を主導して行った阿部正弘は、福山藩阿部氏7代目藩主である。
天守閣
五重六階地下一階で別に二重三階の付櫓をもつ複合天守。
昭和41年に外観復元。建物のみの高さ14間3尺(26.32m)、石塁を含む総高18間3尺(33.64m)。

城について
 福山城は五層六階の複合天守をもつ平山城で、江戸時代築城の天守としては随一という評価があった。しかし昭和二十年の戦災で天守は消失し、現在は鉄筋で再建されている。城の規模も10万石の大名としてはかなり大規模で、幕府が福山城を西国鎮衛として重要視していたことがうかがい知れる。

 江戸時代の建物で現存するのは伏見櫓・筋鉄御門・鐘櫓である。伏見櫓・筋鉄御門はともに伏見城から移築されたもので、その他にも数多くの建造物、建材が利用されたといわれている。また福山城建設には伏見城だけでなく近郊の神辺城の建造物や建材も多く使われた。

 城の縄張りとして東、南、西に二重の堀をめぐらし、北には吉津川を通し、小丸山、天神山を天然の防塁とした。現在、内外の堀は埋められ三之丸とともに市街化している。本丸、二之丸は築城当時の姿をよく残しており、城の周囲に数多く配置された石垣から近世城郭の美しさやすばらしさを感じることが出来る。


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伏見櫓(国重要文化財)
三重の隅櫓で本瓦葺。
伏見城松ノ丸東櫓にあったものを元和八年(1622)、福山城築城にあたって二代将軍・秀忠の命で移建された。

筋鉄御門(国重要文化財)
脇戸付の櫓門で入母屋造りで本瓦葺。
福山城築城にあたって伏見城から移建されたといわれている。立派な門構えである。

鐘櫓(市重要文化財)
本丸西側に位置し、城下や近隣諸村に時の鐘を告げていた。
江戸期には鐘とともに緊急時に武士を招集する太鼓も備えていた。

月見櫓
京都・伏見城から移建されたもので、追手側(南)も入江方面も
展望出来る南東隅に築かれ、藩主等の到着を見極める役割も果たした。
昭和41年秋に外観復元。

鏡櫓
本丸東側に位置し、東南隅の月見櫓から北へのびる塀でつながれ、
6間と4間の広さをもっていた。昭和48年に外観復元。

御湯殿
京都・伏見城にあった豊臣秀吉の居館を移した伏見御殿に
付随した建築。昭和20年の戦災で消失し、昭和41年復元。

黄金水
本丸に現存する唯一の井戸。
その他は本丸に4ヶ所、二之丸に3ヶ所、三之丸に2ヶ所あったといわれる。

旧内藤家長屋門(市重要文化財)
福山城の外濠に面した位置にあった武家屋敷・内藤家の長屋門である。
昭和51年に現位置に解体修理移築したもの。

福山城内にある模型

二之丸南側の高石垣

西側の斜面
石垣があったのか石がたくさん転がっていた。

人質櫓跡の石垣

塩櫓跡の石垣

東上り楯御門跡付近

水野勝成像
備後福山藩初代藩主で、福山城を築城し城下町を建設した。

阿部正弘像
備後福山藩阿部氏7代目藩主。
幕府の老中首座となり、幕末の難局時に安政の改革を主導して行った。

福山城 関連年表
1619年(元和五年) 水野勝成が大和郡山より東備後10万石の領主として入封する。
1620年(元和六年) 築城と城下町の建設をを開始する。
1622年(元和八年) 城と城下町が完成し、地名を福山と名付け福山城と称した。
1698年(元禄十一年) 五代藩主・水野勝岑が早世。水野家断絶。
1700年(元禄十三年) 松平忠雅が出羽山形より10万石の領主として入封する。
1710年(宝永七年) 忠雅が伊勢桑名に転封。阿部正邦が下野宇都宮より10万石の領主として入封する。
以後阿部氏が10代つづけて城主。
1873年(明治六年) 廃城。


 福山城 周辺地図 スポンサーリンク


<入城料>
一般:200円
高校生以下:無料

(平成25年現在)
<アクセス>
JR福山駅北口
から徒歩5分

山陽自動車道 福山東IC
より車で約20分。
          福山西ICより車で約25分。

駐車場

駐車場あり(有料)
<リンク>
福山城博物館公式ホームページ



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