高知城(こうちじょう)
別名:鷹城、大高坂城(高知城以前)
国史跡、日本100名城
場所 土佐国
高知県高知市丸の内
築城者 山内一豊、大高坂松王丸(大高坂城)
築城年 慶長八年(1603)、南北朝期(大高坂城)
主な城主 山内一豊、山内豊信(容堂)、長宗我部元親
主な遺構 国指定重要文化財天守閣、本丸正殿(懐徳館)、追手門、黒鉄門、廊下門、詰門、納戸蔵、西・東多聞櫓、塀など15棟
その他遺構:石垣、水堀、曲輪

歴史背景
 南北朝期に南朝方の豪族・大高坂松王丸が大高坂山に城を築いたのが高知城のはじまりといわれている。しかし、興国二年(1341)には、北朝方に攻められ落城している。

 豊臣秀吉より土佐一国を安堵された長宗我部元親は、天正十六年(1588)居城を岡豊城から大高坂城に移し城を再築した。しかし、低湿地帯のため川の氾濫などに悩まされ、結局浦戸城を築き居城をそちらに移した。これにより、一時的に大高坂城は廃城となる。

 慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで、元親の跡を継いでいた盛親が西軍に付いて敗れてしまったため、長宗我部家は徳川家康に土佐一国を没収され改易となる。かわりに、関ヶ原の戦いで東軍に付き功績のあった山内一豊が、慶長六年(1601)遠江・掛川6万石から土佐一国24万石の領主に封じられた。土佐に入国した一豊は、まず長宗我部氏の居城だった浦戸城に入城するが、城下町の発展に限りがあるため、低湿地帯であったが平地が広がっている大高坂山を本城と定め築城することとした。築城奉行には、関ヶ原後に家臣となった築城の名手と名高い百々綱家を任命した。一豊は鏡川、江ノ口川の治水工事にも着手し、洪水に備えた。慶長八年(1603)には、本丸と二の丸が完成し一豊が入城した。「大高坂山」は「河中山」と改められ、さらに「高智山」と改名され「高知」の地名の基となった。そして、慶長十六年(1611)に三の丸の工事が終わり、約十年かかり全城郭が整うこととなり、南海随一の名城が完成する。

 しかし、享保十二年(1727)の大火で天守閣をはじめほとんどの城郭を消失してしまう。それが、宝暦三年(1753)までかかって全城郭が再び再建され、現在残っている城郭もこの当時のものといわれている。

高知城天守閣(国指定重要文化財)

城について
 高知城は、天然の堀である鏡川と江ノ口川に挟まれた大高坂山に築かれた南国を代表する平山城である。国の重要文化財も15棟指定されていて、特に天守閣、本丸御殿、櫓、門がセットで完全に揃って残っている本丸遺構は日本国内では例がなく非常に貴重である。天守閣は日本国内に12箇所しかない現存で、三層六階(四重五階)の望楼型の天守となっている。また、天守最上階には山内一豊の先の居城である遠江・掛川城を模して造ったといわれる廻り縁高欄がめぐらせてある。

 高知城は、天守閣をはじめとした本丸の建物の景観が非常にすばらしい。そんなに大きいというわけではないが、とてもまとまっていて城の魅力を今でも十分感じさせてくれる。江戸中期の再建であるがこれだけの本丸遺構が現在でも拝見できることに感激した。


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追手門(国指定重要文化財)
慶長年間に創建され、寛文四年(1664)に再建された。高知城の正門である。

城の内側から見た追手門

追手門から見た天守閣

追手門に使用されている木材は太く、
豪壮な造りとなっていて現存の重みと迫力が感じられる。

追手門西南矢狭間塀(国指定重要文化財)
延長71.2m、銃眼13所

高知城石碑

山内一豊の銅像
戦国の世をしたたかに生き抜き、土佐24万石の初代藩主にまでなった。

一豊の妻・千代の銅像
聡明な女性で一豊の立身出世にも大きな役割を果たし、陰で夫を支えた。

板垣退助の銅像
自由民権運動で知られる元土佐藩士

追手門から杉の段に上がる石段

石樋
高知は日本有数の多雨地域であるため、
排水が直接石垣に当たらないように設けられている。

杉の段から見た三の丸の石垣

三の丸の石垣

鉄門跡
この石垣をまたいで入母屋造りの2階建ての門が設けられていた。

詰門(国指定重要文化財)
本丸と二の丸の間に設けられた空堀をまたぐかたちで建てられていて、
上の階が登城してきた武士の詰所となっていた。

杉の段より本丸・天守閣を眺める

黒鉄門に続く道と本丸の石垣
コケの生えた感じがなんともいい

黒鉄門(国指定重要文化財)
門扉に多数の小鉄いたが打ち付けてあったことから
その名がついた。

左より詰門廊下門(ともに国指定重要文化財)

左より廊下門西多聞櫓(国指定重要文化財)

詰門内部
詰門二階部分を渡り廊下門本丸と続く

天守閣と本丸正殿(国指定重要文化財)
この2つの建物がセットで見られるのは貴重だ。

本丸正殿内部
そんなに広くはないが大名御殿の品格が漂っていてすばらしかった。

本丸正殿縁側

高知城模型
以前は二の丸、三の丸にも大きな御殿があったようだ。

天守閣から見た本丸遺構
一番手前が東多聞櫓、一番左が西多聞櫓、真ん中が廊下門

天守閣内部

天守閣から南方向の眺め

東多聞櫓内にある一領具足の像
長宗我部軍の中枢を担った半農半兵で、
元親の四国統一に大きな役割を果たした。

天守東南矢狭間塀(国指定重要文化財)
延長61.2m、銃眼15所

梅ノ段から見た西多聞櫓

鐘撞堂
以前は太鼓丸に置かれていたが現在は太鼓櫓跡付近にある。

城北側・杉の段の石垣群
あまり人が訪れないが石垣がすばらしい。

城北側の石垣
コケの生えた石垣と木々に囲まれ良い雰囲気だった。

城南側の内堀

追手門と天守閣

二の丸から見た天守閣詰門入口
ここから本丸に渡る事ができる。

高知城天守閣遠景

高知城関連年表
南北朝時代 大高坂松王丸が大高坂山に城を築く。
天正16年(1588) 長宗我部元親が岡豊城から大高坂城に居城を移す。
天正19年(1591) 元親、居城を浦戸城に移し、大高坂城を廃城とする。
慶長5年(1600) 関ヶ原の戦いに敗れ長宗我部氏改易となる。
慶長6年(1601) 山内一豊、土佐24万石の領主として浦戸城に入城する。
一豊、大高坂山に新城を築くため工事を始める。
慶長8年(1603) 本丸・二の丸の工事が完了し、一豊が入城する。
「大高坂山」を「河中山」と改める。
慶長15年(1610) 「河中山」を「高智山」と改める。
慶長16年(1611) 三の丸が完成し、全城郭が整う。以後も明治まで山内家の居城となる。


高知城 周辺地図 スポンサーリンク


<入城料>
大人(18歳以上):400円
小人(18歳未満):無料
<アクセス>
JR土讃線高知駅
から路面電車又はバスで約10分。徒歩で25分

高知IC
より車で15分

駐車場

高知公園駐車場(有料)65台。
<リンク>
高知城公式ホームページ



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