彦根城(ひこねじょう)
別名:金亀城
国特別史跡、日本100名城
場所 近江国
滋賀県彦根市金亀町
築城者 井伊直勝(直継)、井伊直孝
築城年 慶長八年(1603)
主な城主 井伊直勝(直継)、井伊直孝、井伊直弼など歴代井伊氏
主な遺構 国宝:現存天守(附櫓、多聞櫓含む)
国指定重要文化財:天秤櫓、西の丸三重櫓、佐和口多聞櫓、
太鼓門櫓(続櫓含む)、馬屋
その他遺構:石垣、水堀、曲輪、土塁、玄宮園、楽々園、堀切


歴史背景
 慶長五年(1600)、関ヶ原の戦い石田三成率いる西軍に勝利した徳川家康は、関ヶ原で戦功のあった徳川四天王の1人である井伊直政に三成の旧領である近江湖東の地18万石を与えた。古来より湖東の地は、中仙道と北国街道が交わり、京の玄関口にあたる交通の要衝で豊臣秀吉が三成に任せたように、家康も最も信頼する家臣の1人である直政にこの地を任せたのである。上野・箕輪12万石から近江・佐和山城に移った直政だが、佐和山城が山城で近代戦に適さないことや城下町の発展が限られ、また三成の遺構ということから彦根山(金亀山)に新しい城の築城を計画した。しかし、直政は築城に着手する前に、関ヶ原の戦いの時に受けた鉄砲傷がもとで慶長七年(1602)に亡くなってしまう。

 跡を継いだ嫡子・井伊直勝はまだ若年であったため、彦根城の築城は井伊家家臣団が直政の意思を継ぎ、慶長八年(1603)彦根山に築城を開始する。幕府も大坂城の豊臣秀頼を中心とした西国大名に対する防衛拠点の1つとして、交通の要衝にあるこの城を重視し、7カ国12大名に役夫を割り当てた天下普請を行った。築城工事は、元和八年(1622)までかかったといわれ、約20年を要した大工事だった。彦根藩では大坂の陣後、家康の命で病弱な直勝は廃され、大坂の陣で功績のあった直勝の弟である直孝が跡を継ぐことになる。直孝は、父譲りのなかなかの人物だったらしく、譜代筆頭として幕府内でも重きを成し、井伊家は30万石に加増される。その後も井伊家は何人もの大老を輩出し、江戸時代を通して幕府内で重責を担った。また井伊家は彦根藩から1度も転封されることなく、明治を迎えている。

彦根城天守閣 (国宝)
三階三重で附櫓と多聞櫓が連なる。

玄宮園から見た彦根城天守

城について
 彦根城は、国宝の天守をはじめ櫓など数多くの遺構が残っている日本を代表する名城である。まず天守は、日本に12しかない現存天守の1つで、さらに4つしかない国宝天守の1つである。そんなに大きくはないが、さまざまな技巧をこらしていて切妻破風、千鳥破風、唐破風を巧みに組み合わせたデザインは見事で見るものを魅了してくれる。特に、着見台から見る天守はかっこいい。天守のほかにも現存する櫓が4棟あり、石垣や堀も往時の姿を留めていて、城好きにはたまらない。

 また、築城には近江周辺の城の建物や石垣が一部再利用されたことでも有名である。天守閣は大津城天守、天秤櫓は長浜城、太鼓門櫓は佐和山城、西の丸三重櫓は小谷城天守からそれぞれ移築されたといわれている。



大手橋

大手門跡

大手門跡の石垣

大手門から天秤櫓に続く坂道

内堀と石垣

内堀と土塁

天秤櫓(国重要文化財)と廊下橋
天秤櫓は、大手門と表門から合流する要の位置に築かれ、
本丸への侵入を防ぐ目的で配置された。廊下橋は非常時には
落とし橋となる。

天秤櫓左側
羽柴秀吉が創築した長浜城の大手門を移築した
といわれている。

天秤櫓右側

佐和口から見た天秤櫓

内側から見た天秤櫓

表門側登城口側の高石垣

廊下橋から見る鐘の丸への登城路

時報鐘
当初、鐘の丸にあったが城下の北側に鐘の音が
届かなかったため、太鼓丸に移されたといわれる。

鐘の丸
築城当時には、この地に鐘楼が存在した。
その後、鐘楼は現在もある太鼓丸に移設された。

太鼓門櫓(国重要文化財)
本丸の表口を固める櫓門。

彦根城から見た琵琶湖
彦根城は琵琶湖八景のひとつにも選ばれている。

本丸から見た内堀

彦根城から見た佐和山城跡

西の丸虎口

西の丸三重櫓(国重要文化財)
本丸の西側一帯にある西の丸の一番はずれにある三階建物。

出曲輪から見た西の丸三重櫓


西の丸と出曲輪の間に設けられた大堀切(空堀)

大堀切

土塁

登り石垣
石垣が山の斜面を登るように築かれている。

黒門跡

黒門付近の内堀

楽々園玄関
楽々園は4代藩主・井伊直興により建立された彦根藩の下屋敷。

楽々園 御書院

楽々園 地震の間(御茶座敷)
地震の際、逃げ込むために造られた部屋で、普段は御茶座敷と
して使用された。耐震建築が採用され、いろいろな工夫が施されている。

国指定名勝 玄宮園
4代藩主・井伊直興が造った城の北東にある大名庭園。

馬屋(国重要文化財)
元禄時代に建てられ、常に十数頭の藩主用の馬がつながれていた。

馬屋の内部
馬屋の建物はL字型をしていて、21頭もの馬を収容することができた。

佐和口多聞櫓(国重要文化財)

佐和口多聞櫓(復元部分)
開国記念館として井伊直弼没後100周年に再建された。

旧西郷屋敷長屋門

内堀

城内にある井伊直弼大老像

大人気の彦根城マスコット「ひこにゃん

彦根城関連年表
1600年(慶長五年) 関ヶ原の戦い後、井伊直政は近江湖東18万石を与えられ、佐和山城に入る。
1602年(慶長七年) 井伊直政が関ヶ原の戦いの傷がもとで死去。
1603年(慶長八年) 彦根城の築城が開始される。
1615年(元和元年) 直勝が廃され、大坂の陣で功のあった直孝が藩主となる。
1622年(元和八年) 彦根城が完成する。
1633年(寛永十年) 彦根藩30万石に加増される。
1860年(万延元年) 桜田門外の変で大老・井伊直弼が暗殺される。
1862年(文久二年) 彦根藩20万石に減封される。


周辺地図 スポンサーリンク
 
駐車場:彦根城内、周辺に有料駐車場多数あり。
最寄り駅:JR彦根駅
訪問年月:2009年5月




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