毛利元秋墓所
(もうりもとあきぼしょ)
〜宗松寺跡〜

  場  所: 島根県安来市広瀬町富田

毛利元秋(元就五男)の墓

 新宮谷の新宮党館跡の手前の左の畦道を入って少し歩いた所に毛利元秋墓所(宗松寺跡)がある。行った時にはオオスズメバチが多数飛んでいたので注意が必要。
 毛利元秋は毛利元就の五男で月山富田城主を務めた。永禄九年(1566)に尼子氏を滅ぼした毛利元就は月山富田城の城代として天野隆重を入城させた。永禄十一年(1568)に隆重の要請で元秋が月山富田城主として入城する。翌年、尼子氏の残党(尼子再興軍)が蜂起して月山富田城を攻撃してきたが、元秋は隆重とともに少数の兵で尼子軍を撃退し月山富田城を守り抜いている。元秋は天正十三年(1585)月山富田城において34歳の若さで亡くなり子がなかったため、弟の元康(元就八男)がその領地を相続した。


毛利元秋墓所の入口

石垣
宗松寺の石垣跡でしょうか。

元秋墓所に続く道

この石段を上がると元秋の墓


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