一心寺(いっしんじ)
本多忠朝の墓所

  場  所: 大阪府大阪市天王寺区逢阪2丁目8-69
宗  派: 浄土宗
山  号: 坂松山
開  基: 文治元年(1185)法然上人


 一心寺には大坂夏の陣で最後の決戦となった慶長二十年(1615)五月七日に討死にした本多忠朝の墓がある。忠朝は本多忠勝の次男で、関ヶ原の戦いで父に従い手柄を立て下総・大多喜五万石の領主となり大坂夏の陣にも参戦した。忠朝は深酒のため二日酔いで五月六日の戦闘に遅参したため、家康にひどく叱責されたといわれる。五月七日の天王口の戦いで先鋒の忠朝は毛利勝永隊と激突したが、本多隊は毛利隊に突き崩され敗走する者が多く出た。これに前日の汚名を晴らそうとしていた忠朝は大いに怒り単騎で敵陣へ斬りこんで奮戦したが、二十箇所以上の傷を負って壮絶な戦死を遂げる。忠朝は死に臨んで、深酒をしたことを悔い「この先酒のために身を誤る者を救いたい」と言って絶命したといわれる。このため「酒封じの神」として墓を参拝する人が絶えないとのことだ。




本多忠朝の墓
元和二年(1616)に建立された。

伝「真田の抜け穴」井戸跡
一心寺にも真田幸村の抜け穴伝説があるようだ。

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