戦国時代について |
戦国時代の始まり |
戦国時代という定義はいつからいつまでとはっきり区分はされていないが、応仁の乱の後からというのが一般的なようだ。室町時代には、足利将軍家が幕府を開き日本全土を統治していたわけだが もともと室町幕府は江戸幕府などに比べて全国を統治する力が非常に弱かった。各地に足利一門や有力家臣を中心とした守護を置いてそれぞれの国を支配させていたが、足利将軍家直属の強大な軍隊を保有していたわけではないのでそれほど各国に対する締め付けが強くなかったようだ。それでも、武士の棟梁である足利将軍家は一定の権威は、何とか保っていた。 しかし、嘉吉元年(1441)幕府の権威復活に力を注いだ六代将軍・義教が守護の赤松満祐に殺害されるという事件が起こり幕府の権威は失墜。さらに応仁元年(1467)から十年近く続いた応仁の乱によって、京の町が荒廃し幕府はますます無力化していく。幕府の権威失墜は、守護の権威失墜につながり、守護代や有力国人にとって代わられる下克上が頻繁に起こるようになる。実力あるものが領土を広げようと各地で戦乱が勃発し、戦国時代へと突入していくのである。 |
戦国大名への転身 |
戦国大名の中には、守護大名から戦国大名化したもの、守護代が守護に取って代わったもの、そのほかにも、土着の国人領主からや出自もはっきりしないものまでいた。有力な戦国大名の出自をみてみる。 |
守護大名から戦国大名へ |
豊後の大友氏、周防長門の大内氏、薩摩の島津氏、駿河の今川氏、甲斐の武田氏、近江の六角氏、常陸の佐竹氏など |
守護代から戦国大名へ |
越後の長尾氏(後の上杉氏)、出雲の尼子氏、越前の朝倉氏、尾張の織田氏など |
国人領主、豪族から戦国大名へ |
安芸の毛利氏、三河の松平氏(徳川氏)、肥前の龍造寺氏、相模の北条氏、阿波の三好氏、土佐の長宗我部氏、 備前の宇喜多氏、北近江の浅井氏、陸奥の伊達氏など |
その他 |
美濃の斎藤氏、豊臣氏など |
戦国時代の終焉 |
戦国時代の終わりというのも諸説あり、はっきりいつまでが戦国時代というものはない。 1、織田信長が足利義昭を京から追放した時で、つまり室町幕府がなくなった時まで。 2、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼし、奥州も平定して天下統一を成し遂げた時まで。 3、徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利し、江戸幕府を開いた時まで。 など、他にもいろいろな説がありますが、個人的な見解としては豊臣秀吉が天下統一をした時ではないかと思っている。信長が足利幕府を滅ぼした時点では、まだ全国では戦乱が続いており、とても戦国時代が終わったとはいえない。しかし秀吉が天下統一をした以降、各大名は私的な戦ができなくなり、戦国乱世の時代は終わったといえるでしょう。戦国武将はその後も朝鮮出兵、関ヶ原の戦いでその存在感を示す。そして真田信繁(幸村)らが華々しい戦いぶりをみせた大坂の陣が戦国武将最期の活躍の場となる。 |
馬上の織田信長(清洲城内) |
豊臣秀吉像(愛知県の常泉寺) |
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