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本能寺跡(ほんのうじあと) 〜本能寺の変・織田信長最期の地〜 |
場 所: | 京都府京都市中京区小川通蛸薬師元本能寺町 |
京都市本能特養老人ホーム西側の油小路通沿いにある「本能寺跡」石碑 |
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天下目前であった織田信長だが、天文十年(1582)六月二日、滞在先の本能寺で家臣・明智光秀の謀反による襲撃に合い自害する。その時、本能寺も消失。天正十七年(1589)、同地に本能寺は再建されるが上棟式の当日、豊臣秀吉の都市計画により鴨川村(本能寺の現在地・寺町御池)へ移転を命じられる。 当時、本能寺の寺域は東西150m、南北300mに及び周囲には水堀と石垣が構えられていて、ある程度の防御力も備えていたようだ。 寺跡地は現在、本能特養老人ホームと堀川高校本能学舎の敷地となっている。 |
京都市本能特養老人ホームの北東にある「此付近本能寺址」石碑 |
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駐車場:なし 訪問日:2023年5月 |
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