姫路城
(ひめじじょう)

別名:白鷺城
国特別史跡世界文化遺産日本100名城(59)
場所 播磨国
兵庫県姫路市本町
築城者 赤松貞範
築城年 正平元年(1346年)
主な城主 池田輝政、池田利隆、池田光政、本多忠政、松平忠明
羽柴秀吉、羽柴秀長、黒田孝高、黒田職隆など
主な遺構 国宝:大小天守、櫓など計8棟
国指定重要文化財:櫓、門、塀など計74棟
その他:石垣、堀、本丸、二の丸、西の丸、三の丸、土塁


歴史背景
 姫路城は、赤松則村(円心)の次男・貞範が姫山に城を築いたのが始まりとされる。戦国期には、赤松氏の被官・小寺氏の家臣である黒田氏が城代となる。そして、織田信長の命で中国経略を進める羽柴秀吉に黒田孝高が姫路城を提供することとなる。秀吉は、中国経略の本拠地を姫路城とし、3層の天守閣を築いたといわれる。また、中国大返しの際にも姫路城に立ち寄り、軍備を整え、天下分け目の山崎の合戦明智光秀に勝利する。その後、秀吉は姫路城には戻らず、大坂城を築いて本拠としたため、姫路城には秀吉の弟・秀長が入る。秀長が大和・郡山城に移ると木下家定が城主となる。

 慶長五年(1600)、関ヶ原の戦いで東軍として功績のあった池田輝政が三河・吉田15万2千石より播磨52万石に加増され、姫路城を本拠とした。輝政は、翌年より姫路城の改修を始め、約8年〜9年の歳月をかけた大規模なものであった。また、輝政の妻が徳川家康の娘であったため、池田家は隆盛を極め、姫路城下も栄えることとなる。輝政が死去すると、利隆、光政と続くが、光政が継いだ時、幼少であったため幕府より因幡・鳥取へ移封を命じられ、池田氏の姫路城支配は終わる。

 山陽道の要衝である姫路城を幕府は重要視し、西への備えとして、譜代大名の本田忠政を15万石で入城させた。その後も、次々と城主が変わるが譜代大名か親藩が配されることとなる。その後も戦火を免れた姫路城は、現在でも美しい姿を見せてくれている。

姫路城天守閣(大天守、小天守3棟すべて国宝)

城について
 日本が世界に誇る天下名城・姫路城は、世界文化遺産に登録され、国宝8棟、重要文化財74棟を擁する。日本に4つ(姫路城以外に犬山城、彦根城、松本城)しかない国宝の城の1つである。姫路城は、平山城で姫山に大天守と3つの小天守が連立しているのが大きな特徴の1つで、その景観美はすばらしいの一言に尽きる。どの角度から見ても、すばらしく時間を忘れてしまうほどである。また、天守閣にたどり着くまでは、螺旋状に通路が造られていて、簡単にたどり着けないようになっていて、守りを非常に重視して造られていることが分かる。

 姫路城は菱の門をくぐり西の丸に入り、西の丸長局から建物内に入場でき、化粧櫓へと続いていく。そして、いったん外に出て、天守の周りをぐるりと周り、いろいろ眺めつつ、やっと天守閣にたどり着ける。大天守は5重6階で千鳥破風や唐破風を組み合わせた優雅な造りとなっている。また、白漆喰の外装が美しさを引き立てていて、写真栄えもすばらしい。 



姫路城の入り口である桜門

城南側の内堀

三の丸付近

三の丸付近

二の丸を固める櫓門である菱の門(国重要文化財)

菱の門

西の丸南門跡付近

本田忠政が息子夫婦(忠刻と千姫)のために建てた
御殿があった
西の丸

西の丸から見たリの二渡櫓(左)と一渡櫓(国重要文化財)

西の丸渡櫓

渡櫓と化粧櫓(国重要文化財)

ヌの櫓(j国重要文化財)

化粧櫓(国重要文化財)

天守より化粧櫓方向を望む

三国堀付近から見る化粧櫓方面

化粧櫓いの門遠望

奥女中が暮らしていた西の丸長局(百間廊下)内部

西の丸長局(百間廊下)内部

ヲの櫓二階内部

化粧櫓で貝遊びをする千姫

カの櫓(国重要文化財)

西の丸から見たカの櫓

時代劇などでおなじみのはの門に続くはの門南方土塀(国重要文化財)

はの門(国重要文化財)

はの門からにの門に向う途中に見える西小天守(国宝)

下から見るにの門

にの門(国重要文化財)

にの門内部

乾小天守(国宝)

ほの門(国重要文化財)

土塀

腰曲輪の渡櫓

との一門(国重要文化財)
搦め手に通じる門

りの門(国重要文化財)

備前丸(本丸)池田輝政居館跡
池田輝政の居館があった場所。輝政の次男・忠継が備前国を与えられたが、
まだ幼少であったため、ここに住んだことから備前丸といわれる。

備前丸から見た大天守西小天守(ともに国宝)

トの櫓(国重要文化財)

備前門(国重要文化財)

天守の入り口水五門

天守内部

天守内部

天守内部

天守より駅方向を望む

東小天守内部

姫路城の模型

西小天守(国宝)

姫路城 関連年表
1346年(正平元年) 赤松貞範が姫山に城を築く。
1580年(天正八年) 羽柴秀吉、中国経略のため、姫路城に入る(黒田孝高が明け渡す)。
秀吉、3層の天守閣を築く。
1582年(天正十年) 羽柴秀吉、明智光秀を討つため、姫路城に立ち寄る。
1585年(天正十三年) 秀吉の正室・ねねの兄である木下家定が城主となる。
1600年(慶長五年) 関ヶ原の戦いで家康側が勝ち、池田輝政が姫路城城主となる。(52万石)
1601年(慶長六年) 池田輝政、姫路城の大改築にとりかかる。8年〜9年の年月を費やす。
1613年(慶長十八年) 池田輝政死去。
1617年(元和三年) 池田光政、姫路から鳥取に転封。
本田忠政が城主となる。(15万石)
1618年(元和四年) 本田忠政の子・忠刻に千姫が嫁ぐ。
1749年(寛延二年) 酒井氏が城主になる。



帯の櫓(国重要文化財)

帯の櫓の下にある腹切丸への入り口

帯の櫓(国重要文化財)

腹切丸

帯郭櫓(腹切丸)
この櫓で実際に切腹が行われたことはないらいしいが、生い茂る木立による
薄暗い雰囲気とその造り、井戸などで切腹場を連想させるため、そのように
呼ばれる。

帯郭櫓

帯郭櫓(左側)と帯の櫓(右側)

腹切丸の井戸

との四門

太鼓櫓(国重要文化財)

「播州皿屋敷」で知られるお菊ゆかりの井戸

太鼓櫓

太鼓櫓(左側)と帯郭櫓(右側)

ぬの門(国重要文化財)

高石垣

リの一渡櫓(国重要文化財)

三国堀にある土塀

土塀奥にリの二渡櫓

リの二渡櫓(国重要文化財)

リの二渡櫓

左からリの二渡櫓、リの一渡櫓、チの櫓
(三棟とも国重要文化財)

天守閣リの二渡櫓、リの一渡櫓、チの櫓


三の丸に移設されている築城当時の礎石

時代を感じさせる石垣

城東側の内堀

城東側の高石垣

城東側の

城北側の内堀
姫山北側には原生林が茂る

城北側の内堀の外には土塁が配置されている

土塁の外に中堀

城西側の内堀

城南側の内堀史蹟姫路城の碑


姫路城 周辺地図 スポンサーリンク
駐車場:大手門駐車場(有料・555台)他多数あり。
最寄り駅:JR「姫路駅」、山陽電鉄「山陽姫路駅」
訪問年月:2007年4月、2016年10月、2019年8月



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