常山城(といしじょう)
別名:-
玉野市指定史跡
場所 備前国
岡山県玉野市宇藤木・用吉・木目/岡山市南区灘崎町迫川
築城者 上野氏
築城年 戦国時代初期
主な城主 上野氏、上野隆徳、戸川秀安、戸川達安、伊岐真利
主な遺構 石垣、曲輪、堀切、土塁、井戸

歴史背景
 常山城の正確な築城時期は不明だが戦国時代初期に上野氏が築城したとみられる。天文二十三年(1554)頃、常山城主・上野隆徳は備中を支配する三村家親の娘(鶴姫)を娶り、三村氏と縁戚関係を結ぶ。
 三村氏は長年毛利氏と友好関係にあったが、毛利氏が宇喜多直家と結んだため、天正二年(1574)三村元親は毛利氏と縁を切り織田氏と手を結ぶこととなる。三村氏にとって宇喜多直家は家親を暗殺されるなど長年敵対関係にあり、この毛利氏の決定は到底受けいれられるものではなかったのである。 三村氏の離反に毛利氏はすぐさま対応し、小早川隆景が大軍を率いて三村氏討伐のため備中に侵入する(備中兵乱)。天正三年(1575)六月、三村氏の本城・備中松山城は落城し三村元親は自害する。三村氏の親類衆である上野隆徳籠る常山城も毛利の大軍に包囲される。多勢に無勢で備中松山城落城から数日後、城主・隆徳は自害。隆徳の妻・鶴姫も女性30余人の女軍を率いて最期まで戦ったが全滅し、常山城は落城する。
 毛利氏は合戦後宇喜多氏に常山城を譲り、宇喜多氏の重臣・戸川秀安が城主となる。天正七年(1579)宇喜多氏は毛利氏から織田氏陣営に鞍替えしたため宇喜多氏と毛利氏は各地で争うようになるが、豊臣時代になると毛利氏と宇喜多氏の境界線が確定し、常山城は児島と備前本土の海峡を抑える宇喜多氏の重要な拠点として機能した。
 戸川秀安の隠居後、嫡男・達安が跡を継ぎ常山城主となる。宇喜田秀家の時代になっても戸川家は宇喜多家の重臣として活躍するが、慶長五年(1600)一月、宇喜多家で御家騒動が起こり、達安は主君・宇喜田秀家と対立し宇喜多家を出奔することとなる。達安は関ケ原の戦いで東軍・徳川家康に味方し功績をあげ、戦後、備中庭瀬藩主となっている。
 関ヶ原後、常山城は小早川秀秋の所有となるが、下津井城の大改修に伴い役割が薄れ、秀秋の死後岡山藩に入封した池田忠継が慶長八年(1603)常山城を廃城とする。


常山城跡登山口の看板
常山に登る入口に出ている。

底無井戸
一度も涸れたことがない井戸らしい。
扉を開けたら井戸がある。

登山道
歩いたら結構つらい。30〜40分くらいかかる。

惣門二の丸
あまり広くない曲輪で石仏がある。

城について
 常山城は標高307mの児島富士と呼ばれる常山に築かれた山城である。海に近く標高と比高がほぼ同じであるため、標高の割に山登りは結構しんどい。以前は車で山頂まで上がれたが、現在は車道が途中で崩れているため、そこからは荒れた車道を歩いて行くことになる。常山城の北側は戦国時代当時海で児島半島は島であったといわれ、常山城は児島を支配するのに重要な拠点だったようだ。
 常山山頂には本丸があり合計十四の曲輪から構成されるが、一つ一つの曲輪はそれほど広くない。北二の丸跡には城主一族と女軍の墓石40基と墓碑が建っている。常山城は女性までもが戦って全滅した悲劇の城としても有名である。


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青木丸から天神丸に続く通路

北二の丸に並ぶ城主一族と女軍40基の墓石
本丸直下の北二の丸に迫った毛利武将の浦宗勝に対して、
城主の妻鶴姫は34人の侍女を率いて最期の戦いに挑んだが
侍女たちは討ち取られ、鶴姫は本丸に戻り自害したと伝わる。

落城四百年忌供養塔

常山女軍の碑

北二の丸から本丸に上がる石段
本丸は一段高くなっている。

本丸跡
それほど広くないが平地が広がっている。

本丸跡に建つ「城主上野隆徳公碑」

本丸跡の腹切岩
常山合戦で敗れた城主・上野隆徳が切腹した場所と伝わる岩

本丸から望む東側の風景
遠くには瀬戸内海が見える。

本丸から望む児島湖方面
児島湾締切堤防が見え、干拓地が広がっている。

本丸から望む常山北側の風景

矢竹丸から矢竹二の丸の竹林

矢竹丸から矢竹二の丸の竹林

青木丸から天神丸付近の石垣

青木丸から天神丸付近の石垣

青木丸付近の石垣

青木丸付近の石垣

栂尾丸跡に残る石垣
千人岩
常山合戦の時に城方の退路遮断のため、毛利軍が兵を千人
配置したと伝わる場所。


「城主戸川友林墳墓」の石碑

友林堂(玉野市指定文化財)
宇喜多家重臣であった常山城主・戸川秀安の位牌を安置する霊廟。
文化二年(1805)、撫川・早島・帯江・妹尾を知行する戸川氏によって
建立されたもの。
戸川友林(秀安)の墓(玉野市指定文化財)
戸川秀安 天文七年(1538)〜慶長二年(1597)
宇喜多直家創業初期からの家臣で、宇喜多家躍進を支えた宇喜多三老の一人である。
天正五年(1577)頃、常山城主となるが、宇喜田秀家の時代になると嫡男の達安に家督を譲り、隠居し友林と号した。


常山城平面図(現地案内板より)


常山城 関連年表
1492年(明応元年) 上野氏が常山城を本拠に児島の支配する。
1554年
(天文二十三年)頃
上野隆徳と三村家親の娘・鶴姫が結婚する。
1574年(天正二年) 三村元親、織田方となり毛利氏と交戦状態となり備中兵乱が始まる。
1575年(天正三年) 6月2日、備中松山城が落城し三村元親が自害する。
6月7日、小早川隆景の軍に攻められ城主の上野隆徳が自害し常山城が落城する。
1577年(天正五年)頃 宇喜多直家の重臣・戸川秀安が常山城主となる。
1603年(慶長八年) 岡山城主となった池田忠継が常山城を廃城とする。


常山城跡 周辺図 スポンサーリンク


<入城料>
なし
<アクセス>
JR宇野線 常山駅
 から登山口まで約10分

 国道30号宇藤木交差点を常山方面へ

駐車場

登山口の所に数台。現在は山崩れのため車で山頂まで行くことができない。





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