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名古屋城 (なごやじょう) 別名:金鯱城、金城 国特別史跡、日本100名城、日本三名城 |
場所 | 尾張国 愛知県名古屋市中区 |
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築城者 | 徳川家康 | |
築城年 | 慶長十四年(1609年) | |
主な城主 | 徳川義直(家康の九男)、尾張徳川家歴代藩主 | |
主な遺構 | 国重要文化財:西南隅櫓、東南隅櫓、西北隅櫓、表二ノ門 その他:復元天守、石垣、水堀、空掘、本丸、二の丸、西の丸など |
歴史背景 |
名古屋城の地には、戦国時代には那古屋城があった。那古屋城は東尾張にまで勢力を伸ばしていた駿河守護・今川氏親が前線基地として築城したのがその始まりといわれている。その後、織田信秀が今川氏から奪取し、この地で織田信長が生まれたとされる。その後、信長は清須に本拠地を移したため、徐々に存在意義が薄れ、廃城となる。 関ヶ原合戦後、徳川家康は、大坂城の豊臣家を中心とした西国大名を警戒し、西への備えとして、名古屋城築城を決意する。名古屋は、大坂と江戸を結ぶ街道のほぼ真ん中あたりに位置したため家康はこの地を重要視した。それまで、尾張の中心地は清須であったため、この尾張の中心地替えは清洲越しといわれる。 名古屋城築城は、幕府が西国の外様大名二十家に対して普請を命じた「天下普請」で行われた。加藤清正、福島正則、黒田長政など豊臣恩顧の大名は、普請によって財力を削られ、また幕府への忠誠心も試させられた。 慶長十七年(1612)には、城は完成するが、尾張藩主・徳川義直は幼少であったため、実際に城に入ったのは元和二年(1616)のことである。以後、名古屋城は江戸時代を通して徳川御三家・尾張藩徳川家の居城で、名古屋の地も繁栄することとなる。 |
大天守と小天守 |
天主閣 |
下から眺めた天主閣 |
二の丸から天守閣を望む |
西南隅櫓(国重要文化財)と天守 |
城について |
名古屋城は日本三名城(他に大坂城、熊本城)の1つで、「尾張名古屋は城でもつ」と歌われるほどの日本屈指の名城として知られている。関ヶ原の戦い後、幕府の天下普請で建てられたため、徳川家の威光を示すに十分な造りとなっている。堀や石垣はもちろん、天守閣の迫力も日本屈指である。江戸時代を通して徳川家御三家の筆頭である尾張徳川家の居城で、藩主の住まいや政治の中心は二ノ丸御殿に置かれた。ちなみに、本丸御殿は将軍専用の宿舎とされ、ほとんど使われることはなかった。天守閣、本丸御殿共に第二次世界大戦の空襲で失われたが、天守閣は昭和34年(1959)にコンクリート造りで再建され、本丸御殿も再建が計画されている。 |
二の丸にある那古屋城跡 織田信長が生まれたといわれる |
東南隅櫓(国重要文化財) |
空堀と石垣 |
空堀と石垣 |
清正の石曳きの像 天守台の石垣を担当した加藤清正は、 石の上に乗り大声で指揮を執った。 |
清正石 加藤清正が運んできたといわれる巨大石だが、 この場所は黒田長政の丁場であったため 単なる伝説の可能性が高いらしい。 |
表二ノ門(国重要文化財)遠景 |
表二ノ門(国の重要文化財) |
空堀と石垣 |
本丸を囲む空堀 |
本丸御殿跡 再建の計画が進められている |
本丸御殿復元予想図 |
西北隅櫓(国重要文化財) 別名:戌亥隅櫓、清須櫓 清須城の建材が使用されているといわれる |
西南隅櫓(国の重要文化財) |
鵜の首 防衛上のため入り込んだ堀 |
不明門(焼失再建)別名:あかずの門 多聞塀の下をくぐる埋門で、本丸御殿の大奥へ通じる秘門 |
西北隅櫓から水堀を望む |
天守台石垣の勾配 担当した加藤清正の技法の特徴がよく出ている。 加藤清正の居城であった熊本城にも同様の勾配が見られる |
天主閣と本丸御殿の古写真(現地より) |
名古屋城復元模型 |
名古屋城 関連年表 |
1521年〜1528年頃 | 今川氏親が名古屋台地西北端に「柳の丸」を築く。城主に今川氏豊を配置する。 |
1532年(天文元年) | 織田信秀が今川氏豊から城を奪い、那古屋城と改名する。 |
1534年(天文三年) | 那古屋城にて織田信長誕生(異説あり)。信秀、古渡城に移る。 |
1555年(弘治元年) | 信長、清須城に移る。 |
1582年(天正十年)頃 | 那古屋城廃城となる。 |
1609年(慶長十四年) | 徳川家康、名古屋城築城を決定する。 |
1610年(慶長十五年) | 名古屋城築城を開始する。 |
1612年(慶長十七年) | 天守閣が完成する。 |
1615年(元和元年) | 本丸御殿完成。 |
1616年(元和二年) | 徳川家康、駿府城にて死去。 徳川義直、名古屋へ移住。 以後、明治まで徳川御三家の筆頭である尾張徳川家十七代の居城。 |
現地城内案内図 |
名古屋城 周辺地図 | スポンサーリンク |
駐車場:正門前駐車場(有料・普通車319台) 最寄り駅:地下鉄名鉄線「市役所」 訪問年月:2008年4月 |
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