阿井の渡し(あいのわたし)
〜山中幸盛(鹿介)最期の地、山中幸盛墓所〜
高梁市指定史跡

場  所: 岡山県高梁市落合町阿部

山中幸盛(鹿介)の墓(高梁市指定史跡)
墓碑は正徳3年(1713)松山藩主・石川総慶の家臣前田時棟が建てたもの

 尼子氏再興を目指す山中幸盛(鹿介)は主君尼子勝久とともに毛利氏との前線となる播磨国上月城に配されるが、毛利氏の大軍に囲まれ勝久は切腹し鹿介は囚われの身となる。囚われた鹿介は毛利輝元が在陣する備中松山城(又は毛利氏本拠安芸)に連行されることになる。吉川元春と刺し違えるため偽って毛利家に臣従すると誓っていた鹿介だが、連行中にその殺気を察知され阿井の渡し付近で毛利氏の手の者に襲われ命を落とす。その阿井の渡し場に鹿介の墓所(胴塚)がある。首は毛利氏の検分の為、備後・鞆に運ばれた。


墓から望む高梁川
墓所は高梁川右岸で成羽川との合流付近にある。

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