巌倉寺(いわくらじ)
〜堀尾吉晴墓所・山中鹿介供養塔〜

  場  所: 島根県安来市広瀬町富田562
宗  派: 高野山真言宗
山  号: 睡虎山
創建年: 神亀三年(726)

出雲観音霊場十八番札所・巖倉寺本堂

 巖倉寺は月山富田城域内に位置し、「堀尾吉晴の墓」と「山中鹿介供養塔」が現存している。堀尾吉晴は豊臣秀吉の尾張時代からの家臣で、温厚な性格から「仏の茂助」といわれ人望が厚い人物だったといわれる。秀吉天下統一後は遠江・浜松12万石の大名となり、関ケ原の合戦では徳川家康に味方し、本戦には家督譲っていた忠氏が参加し堀尾家は出雲・富田24万石に加増される。月山富田城に入った吉晴・忠氏親子であるが慶長九年(1604)に忠氏が急死したため、吉晴は幼少であった孫の忠晴の後見として再び実権を握った。月山富田城は山城であるため、吉晴は今後の城下町発展が望める松江城の築城に着手し、慶長十六年(1611)の完成と時を同じくして亡くなっている。遺言により月山富田城内にあった巖倉寺に遺骸が葬られたといわれている。


入口の赤門

門の横に「史蹟富田城趾」碑

入口の赤門からの階段

仁王門までの階段

石段と石垣

かなり立派な石垣だ

「堀尾吉晴の墓」「山中鹿介供養塔」の案内板

山中鹿介供養塔
慶長七年(1602)に堀尾吉晴の妻によって建てられたそうだ。

堀尾吉晴の墓
高さ3mの立派な五輪塔

水鉢には堀尾家の家紋「分銅」と「六目結」が刻まれている

松江城の堀尾吉晴像

十九番札所・泰平山観音寺

鐘楼

石垣


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