伝・堀尾忠氏墓(でん・ほりおただうじはか)
〜忠光寺跡〜

  場  所: 島根県安来市広瀬町富田

伝・堀尾忠氏墓
墓標もなく石が転がっているだけで、これが24万石の大名の墓?という感じ。廃寺となり、長年放置されたためなのでしょうか。。

 堀尾忠氏は堀尾吉晴の次男(嫡男という説もあり)で、慶長四年(1599)に吉晴の隠居に伴い遠江・浜松12万石の跡を継いだ。徳川家康にとって西軍との激突の前に助けられたのが、豊臣秀吉が家康に備えて東海道筋に配置していた堀尾家をはじめとした豊臣恩顧の大名たちが城を提供してくれたことだ。真っ先に提供を申し出たのが、山内一豊と忠氏といわれている。その功績が大きく評価され関ヶ原の戦い後、堀尾家は出雲・富田24万石と大幅加増となる。忠氏は父・吉晴とともに月山富田城に入城するが中世の山城で交通の便が悪い富田から、水運に優れ城下町発展が望める松江に本拠変更を決める。しかし忠氏は慶長九年(1604)急死してしまう。
 その忠氏の亡骸がこの墓所である忠光寺に埋葬されたといわれている。今は廃寺となっており、石垣に囲まれてはいるが墓らしき痕跡はこれが墓石なのかと思うような石が転がっていているだけで何ともいえない。出雲国24万石の太守であった堀尾忠氏の墓にしてはあまりにも寂しい状態だ。
 場所は新宮谷東奥の塩冶掃部介墓所近くで、舗装道路から山道を200mくらい歩いて行った所にある。


伝・堀尾忠氏墓への道標

山の中に入っていきます。

なかなか1人で行くには寂しい道です。

少し山を登ります。

伝・堀尾忠氏墓の案内板
寂しい場所ながら立派な案内板があります。

平らな整地した場所から何かあったことは確かでしょう。


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