尼子晴久の墓(あまごはるひさのはか)

  場  所: 島根県安来市広瀬町富田

尼子晴久の墓
そばに一列に並んでいる小さな石は殉死した人々の墓石のようだ。

 月山富田城南の塩谷口を東へ進んだ山麓に尼子晴久の墓がある。晴久は急死したといわれ、毛利氏に隠す必要があったためか、孤立したあまりにも寂しい場所に晴久の墓は建っている。
 晴久は尼子経久の孫で、父・政久が戦死していたため経久の跡を継いで尼子氏の当主となった戦国大名である。経久から広大な支配地域を受け継いだ晴久はさらにその勢力範囲を広げている。そして大内義隆や毛利元就と一進一退の死闘を繰り広げ、大内氏に対しては逆に勢力を盛り返すほどだった。毛利元就が大内氏を滅ぼしたのち毛利氏の山陰地方への侵略が激しくなるが、晴久存命中は何とか耐えていた。尼子氏にとって厳しい状況が続く中、晴久は永禄五年(1562)49歳で月山富田城内にて急死している。その後、尼子氏は毛利氏の攻撃に耐えきれず急激に崩壊していき、永禄九年(1566)に月山富田城が落城し滅亡となる。


「尼子晴久の墓」の案内看板
案内看板が各所にでているため、迷うことはない。

駐車場所
行き止まりのため数台車を止めることができる。

晴久墓所への登り口

晴久墓所の下段
駐車場所からすぐ到着できる。


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