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高松城 (たかまつじょう) 別名:玉藻城 国史跡、日本100名城(77)、日本三大水城 |
場所 | 讃岐国 香川県高松市玉藻町 |
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築城者 | 生駒親正 | |
築城年 | 天正十六年(1588) | |
主な城主 | 生駒親正、生駒一正、松平頼重、松平頼常 | |
主な遺構 | 国指定重要文化財:艮櫓、月見櫓、渡櫓、水手御門 その他遺構:天守台、桜御門(復元)、石垣、水堀、橋、曲輪、水門 |
歴史背景 |
豊臣秀吉が四国平定、九州征伐を終えた後の天正十五年(1587)、生駒親正は讃岐一国17万6千石を与えられ、翌年高松城の築城を始める。数年の歳月を費やし完成し、海岸に面していたため瀬戸内の水軍の押さえとしての機能を果たした。その後も親正は、高松城の支城として慶長二年(1597)丸亀城を築城し、子の一正を入れる。そして、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いでは親正が西軍、一正が東軍でそれぞれ参戦したが、東軍が勝ったため、親正は一正に家督を譲ることとなる。そのため、一正が丸亀城から高松城に移り、初代高松藩主となる。その後、一正の孫にあたる高俊の代に御家騒動により幕府から所領を没収され、出羽矢島に移され1万石を与えられた。 生駒氏の後、寛永十九年(1642)、常陸・下館藩主であった松平頼重が東讃岐12万石の領主として入城してくる。頼重は、徳川家康の孫にあたり、徳川光圀(水戸黄門)の兄という将軍家に非常に近い立場で、中国・四国の大名の監視役だったともいわれている。徳川御三家水戸藩祖・徳川頼房の長男として生まれながら水戸藩主になることができなかった頼重であるが、水戸藩第二代藩主・光圀は、兄を差し置いて水戸藩主となったことを悔やんでいた。そのため、光圀は自分の跡取りに頼重の子・綱枝を迎えて水戸藩主とし、頼重も光圀の子・頼常を高松藩主とした。その後も、高松藩と水戸藩の親密な関係は続き、養子縁組を繰り返すこととなる。松平氏の治世は頼重以降十一代228年間にわたり、幕府にとって四国で重要な親藩として高松は発展していった。 |
艮櫓(旧太鼓櫓跡)(国指定重要文化財) 城内部からの写真 |
月見櫓(国指定重要文化財) 出入りする船を監視する役目があった |
旧東之丸 艮櫓(旧太鼓櫓跡) 三重三階の隅櫓で延宝五年(1677)に完成。 もともと東の丸の北東の隅にあった櫓で旧太鼓櫓跡に移築された。 |
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艮櫓台 レグザムホール(県民ホール)に埋もれています。 |
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城南側の中堀 |
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月見櫓 |
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月見櫓に連なる水手御門・渡櫓(国指定重要文化財) 薬医門様式の水手御門は海側の大手門で海から城へ入る事ができた |
正面から見た水手御門・渡櫓 |
水手御門 当時は門を開けば海だった |
月見櫓と連なる水手御門・渡櫓 |
城について |
高松城は、全国でも珍しい海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだ平城で、日本三大水城(高松城・今治城・中津城)のひとつである。その縄張りは当時築城の名人といわれ水軍にも精通した黒田孝高または細川忠興、藤堂高虎、小早川隆景のいずれかが手掛けたといわれている。現在は港や道路などのため埋め立てられ高松城自体、海に直接接していないが、堀には現在も海水が引き込まれている。 天守閣は生駒氏時代には三層天守だったが、松平頼重が三層五階(地下一階)の南蛮造りの天守に改築し、寛文十年(1670)に完成した。その規模は四国最大級を誇り、西日本の大名に睨みをきかせたが、現在は天守台が残るのみである。しかし近年、天守閣復元に向けて高松市が力を入れているようで、高松城に天守閣が復活する日が来るかもしれない。 |
桜御門 三の丸入口で飛雲閣の正門にあたる櫓門。 昭和二十年まで現存したがアメリカ軍の空襲により消失。令和四年(2022年)七月復元。 |
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飛雲閣側から見た桜御門 |
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桜御門内部 |
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復元される前の桜御門跡 |
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高松城西入口 |
報時鐘 城下の人々に時を知らせるため設けられた |
石垣 |
石垣 |
二の丸 |
文櫓跡 |
二の丸 |
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二の丸の石垣 |
水門 堀と海がつながっているため、潮の干潮による水位調節のため設けられた |
水門 |
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内堀 |
鞘橋 本丸と二の丸を結ぶ唯一の連絡橋 |
天守閣跡 石垣解体修理中(2009年) |
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天守台 |
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旭橋と旭門 |
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披雲閣 松平藩時代にも現在の披雲閣の約2倍の広大な建物があった |
旭門 玉藻公園の駐車場からの入口 |
枡形 どこの城にも門の入ったところによくあり、守りに適し、 攻め込むときにも都合のよい造りとなっている |
埋門 石垣をトンネル状にした珍しい門 |
桜の馬場 馬の訓練をしていた所で以前は今の2倍ほどあった |
鹿櫓跡 |
天守閣模型 |
高松城模型 以前は海に面していた事がよく分かる |
月見櫓内部 現存のため古い木造 |
月見櫓から見た渡櫓 |
内苑御庭 |
中堀 |
高松城 関連年表 |
1587年(天正十五年) | 生駒親正が17万6千石の領主として讃岐に入封。 |
1588年(天正十六年) | 親正、高松城の築城を開始する。 |
1592年(文禄元年) | 親正、5500の軍勢を率いて、朝鮮に渡る。(文禄の役) |
1600年(慶長五年) | 関ヶ原の戦いにより親正、子の一正に家督を譲る。 |
1640年(寛永十七年) | 御家騒動により生駒氏、讃岐一国を没収され、出羽・矢島1万石に移封となる。 |
1642年(寛永十九年) | 松平頼重が、常陸・下館より東讃岐12万石の領主として入城する。 |
1670年(寛文十年) | 三層五階の天守閣が完成する。 |
高松城 周辺地図 | スポンサーリンク |
駐車場: 艮櫓前の玉藻公園駐車場(無料・57台) 最寄り駅:JR「高松駅」 訪問年月:2009年1月、2019年10月、2023年12月 |
高松城御城印 |
日本100名城スタンプ 77高松城 |
御城印販売場所 | スタンプ設置場所 |
・高松城東門料金所 ・高松城西門料金所 ・飛雲閣内管理事務所窓口 |
・高松城東門料金所 ・高松城西門料金所 ・飛雲閣内管理事務所窓口 |
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