1533年(天文二年) |
毛利元就の三男として安芸・吉田郡山城で生まれる。 |
1544年(天文十三年) |
継嗣のなかった竹原小早川家の養子となり跡を継ぐ。 |
1550年(天文十九年) |
本家である沼田小早川家当主・繁平の妹を娶り、本家も相続する。 |
1552年(天文二十一年) |
小早川家の本拠を高山城から新高山城に移す。 |
1555年(弘治元年) |
厳島の戦いで小早川水軍を率いその勝利に大きく貢献する。 |
1557年(弘治三年) |
周防・長門経略に参戦し大内氏を滅ぼす。 |
1563年(永禄六年) |
当主である兄・隆元が急死。その子・輝元が毛利家の跡を継ぐ。 |
1566年(永禄九年) |
月山富田城攻めに参戦し、尼子氏を滅ぼす。 |
1568年(永禄十一年) |
伊予に出兵し、宇都宮氏の大洲城などを攻略する。 |
1571年(元亀二年) |
父・元就死去。 |
1575年(天正三年) |
備中の三村元親が毛利氏を離反し織田信長と通じたため、居城の備中松山城を攻め三村氏を滅ぼす。 |
1576年(天正四年) |
毛利水軍は第一次木津川口の戦いで織田水軍を破り、石山本願寺の補給支援に成功する。 |
1578年(天正六年) |
尼子氏の残党である尼子勝久・山中幸盛らが籠もる上月城を攻略する。
毛利水軍が第二次木津川口の戦いで鉄甲船を有する織田水軍に敗れる。 |
1579年(天正七年) |
宇喜多直家が毛利氏から離反し、織田氏につく。 |
1582年(天正十年) |
備中高松城を羽柴秀吉軍に包囲されたため毛利軍主力とともに参陣する。
本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれる。
毛利氏は羽柴秀吉と講和を結ぶ。
居城を新高山城から三原城に移す。 |
1585年(天正十三年) |
秀吉の四国攻めのため伊予に渡り功績を挙げ伊予35万石を与えられる。 |
1586年(天正十四年) |
秀吉の九州征伐に参戦していた次兄・吉川元春が死去。 |
1587年(天正十五年) |
九州征伐の功により、伊予に替えて筑前一国と筑後・肥前の各一部を与えられる。 |
1593年(文禄二年) |
日本軍の先鋒を務めた碧蹄館の戦いで明軍を破る。 |
1594年(文禄三年) |
すでに養子となっていた秀包を廃嫡し、秀俊(秀秋)を養子に迎える。 |
1595年(文禄四年) |
秀俊(秀秋)に筑前名島領を譲り、自身は備後三原に隠居する。 |
1597年(慶長二年) |
三原にて65歳で死去。 |