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玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ) 大坂城鎮守の古社、豊臣秀頼寄進の石鳥居 |
場 所: | 大阪府大阪市中央区玉造2-3-8 |
御祭神: | 宇迦之御魂大神 |
創祀年: | 垂仁天皇18年(紀元前12年)秋 |
玉造稲荷神社は豊臣家の大坂城三の丸に位置していたため、付近には前田利家をはじめ宇喜多秀家、細川忠興など多くの武将が屋敷を構えていた。豊臣秀頼、淀殿は社領500石を寄進するなどこの神社を保護し、当時の大坂城内で行われた多くの神事にここの神職に携わらせた。慶長八年(1603)三月には当時の奉行であった片桐且元、加藤嘉明に命じこの神社を復興し、その際、建てられた石鳥居も境内に現存し、淀殿と秀頼を結ぶ胞衣(卵膜や胎盤など)を祀る胞衣塚大明神も鎮座している。 玉造に屋敷を構えていた武家・町人 前田利家・前田年長・宇喜多秀家・細川忠興・島津家久・鍋島勝重・浅野長政・浅野長晟・増田長盛・小出吉英・小出吉親・ 明石守重・古田重然(織部)・前羽半人・千利休・曽呂利新左衛門など (参考:現地案内板より) |
豊臣秀頼像 生没年:文禄二年(1593)〜慶長二十年(1615) 豊臣秀吉と淀殿の間に生まれ、秀吉の死後家督を継ぐ。大坂夏の陣で徳川幕府軍に敗れ自害。 |
豊臣秀頼公奉納鳥居 慶長八年(1603)に奉納され、阪神・淡路大震災までの400年間「大坂城の鎮守神」として存在した。 |
秀頼公胞衣塚大明神(よなづかだいみょうじん) 淀殿と秀頼を結ぶ胞衣(卵膜や胎盤など)を祀る。 |
千利休を偲ぶ「利休井」 千利休の屋敷がこの南西にあり、利休井があったと伝わる。 |
千利休居士顕彰碑 利休は当時この邸内の井戸でお茶の水を汲んでいたと伝わる。 |
徳川・大坂城鎮守神時代の鳥居(現地案内板より) |
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